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市田郷(中世) 南北朝期~戦国期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
市田郷(中世) 戦国期に見える郷名新川【にいかわ】郡のうち文明17年9月2日の「室町幕府奉行人連署奉書案」(内閣文庫古文書/県史中)に「安禅寺殿御領越中国市田郷事,高野細河強入部云々,言語道断之次第也」と見え,「新元日記」の同日条にも「安禅寺殿御申御寺領越中国市田郷事,高野細河殿押領」とある(続史料大成12)これより,安禅寺領であった当郷が,このとき高野細河某に押領されたため,幕府は守護代椎名氏にその阻止を命じるとともに,当郷名主に対し同寺に年貢・公事を沙汰するよう命じていることがわかるなお,天文23年2月19日の某寄進状には,「市田之郷之内中野之事,被立置道場之間,於末代令寄進候」とあり,当郷のうち中野の地が,玉永寺の道場として某より同寺に寄進されている(玉永寺文書/県史中)この玉永寺は興正寺末の真宗寺院で,神保長職より天文14年11月に禁制を受けており,富山市西水橋に現存する現行の富山市水橋一帯あたりか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」